戸隠古道を行く!!その12「守護不入之碑」
宿坊「久山館」の外門を入ると「守護不入之碑」の石柱があるので、今回は、先に拓本を取り「守護不入之碑」へと向かった。
奥には「久山館」が姿をのぞかせていた。
その昔、久山館のご当主は別当職として「戸隠山顕光寺本坊」を守り、明治以降は、戸隠神社の神官としての職にある。
さて「守護不入之碑」は、かつては表門の大杉の下にあり、道ゆく人が参拝の折に必ず伏拝むほどの威光を誇っていたと言われているが、現在はこの久山館前庭に移されている。
慶長17年、徳川将軍家は戸隠神社に社領千石の御朱印を与えた。
「守護不入之碑」は、享保12年に戸隠別当となった「乗因」が建立し、「山中支配領内守護不入」と刻まれた高さ110㎝ほどの石碑。
戸隠は家康によって認知された聖地で、他所でいかなる罪を犯しても、この神聖な地に入れば世俗の約束事や諸国大名の警察権さえも及ばないという威厳のある土地であったという。
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御朱印を与えた「徳川家康」は、「戸隠山法度」を出して別当に一山の権限を与えた。この時代から別当の領主的な支配がなされたという。
俗世と隔離された時代が「戸隠」の独特の文化や伝統を生み、今に受け継がれているのかもしれない。
「久山館」を後にして、中社の「三本杉」へと向かいます。
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