2012年11月09日
戸隠古道を行く!!その24 「女人結界の碑」
秋も深まった越後道を進みます。
越後から戸隠への最短脇道ルートの越後道は、信濃町古間を起点に戸隠に向かう道です。
紅葉も散りはじめ、散策道に落ちた葉を踏むと軽やかな音が耳に楽しい。
越後道越水ヶ原の分岐点に立つ石碑が「女人結界の碑」です。
拓本帳によると、この碑は、高さ190センチの自然石で、寛政7年に近江彦根 山中為之進が建立したとのことです。
石面には、「右奥院・中院両道女人結界、左中院江之女人道」という文字が刻まれています。
女人結界とは、「女人禁制の地域」のことで聖地・霊域とされる所に女人の進入を禁じることです。仏教の戒律としても行われたり、修験道が全盛だったころには修行の妨げになるとして、女性を神域に立ち入らせない女人禁制の定めがありました。(今では信じられませんが)
そこで、「男道」「女道」を区別することで、女性参拝者が奥院道・中院道へ立ち入るのを禁じ、奥院に向かわせないように建てた碑です。
昔は、このような地がほかにも多く合ったようで、拓本帳には次のようなことが書かれています。
江戸時代後期の旅行家であり民俗学者でもある「菅江真澄(すがえますみ)」は、全国を遊歴する中で信州にも入り「久米路の橋」(長野市信州新町)「伊那の中路」などの記行文を残したと言われています。
「久米路の橋」での一節。
・・・このみまえを、左にのぼれば、二丘尼石、観音ぼさつの堂あり。麓より女、この堂を限りにまう出てぞ、みな帰りいにける。・・・
越後から戸隠への最短脇道ルートの越後道は、信濃町古間を起点に戸隠に向かう道です。
紅葉も散りはじめ、散策道に落ちた葉を踏むと軽やかな音が耳に楽しい。
越後道越水ヶ原の分岐点に立つ石碑が「女人結界の碑」です。
拓本帳によると、この碑は、高さ190センチの自然石で、寛政7年に近江彦根 山中為之進が建立したとのことです。
石面には、「右奥院・中院両道女人結界、左中院江之女人道」という文字が刻まれています。
女人結界とは、「女人禁制の地域」のことで聖地・霊域とされる所に女人の進入を禁じることです。仏教の戒律としても行われたり、修験道が全盛だったころには修行の妨げになるとして、女性を神域に立ち入らせない女人禁制の定めがありました。(今では信じられませんが)
そこで、「男道」「女道」を区別することで、女性参拝者が奥院道・中院道へ立ち入るのを禁じ、奥院に向かわせないように建てた碑です。
昔は、このような地がほかにも多く合ったようで、拓本帳には次のようなことが書かれています。
江戸時代後期の旅行家であり民俗学者でもある「菅江真澄(すがえますみ)」は、全国を遊歴する中で信州にも入り「久米路の橋」(長野市信州新町)「伊那の中路」などの記行文を残したと言われています。
「久米路の橋」での一節。
・・・このみまえを、左にのぼれば、二丘尼石、観音ぼさつの堂あり。麓より女、この堂を限りにまう出てぞ、みな帰りいにける。・・・
Posted by いいときナビ at 11:47│Comments(0)
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