2012年10月15日
戸隠古道を行く!!その11「納経供養塔」
納経供養塔は県道506号線沿いの戸隠中社大門のバス停向かいにあります。

神前形の灯篭をかたどった納経供養塔(石造法華塔)。

ここには、釈迦と多宝の2仏と銅製の経筒とが納められていました。勧修院別当尭瓊(ぎょうけい)が戸隠に奉納する大乗妙典書経が年々散逸するのを憂い、この納経供養塔を建立したと言うことです。
寛政7年(1795)から文化9年(1812)まで18 年の歳月を要して完成させたもので、当初は中社広庭上段にあったが、廃仏毀釈で移転され、明治20 年(1887)に現在地に再建されたと言われています。(長野市のホームページ「戸隠地区」より)

納経は現世の安穏や来世の幸せを祈願したり、追善供養のために経文を写す大切な行いだったようです。
戸隠神社は、朱印寺院と認められており、将軍崩御の際「納経」の役目があったようです。
朱印地というのは、江戸時代、寺院や神社が徳川将軍から朱印状という文書を受けて認められた領地 をいいます。


このまま中社への上り坂を進み、「守護不入之碑」へ。

神前形の灯篭をかたどった納経供養塔(石造法華塔)。

ここには、釈迦と多宝の2仏と銅製の経筒とが納められていました。勧修院別当尭瓊(ぎょうけい)が戸隠に奉納する大乗妙典書経が年々散逸するのを憂い、この納経供養塔を建立したと言うことです。
寛政7年(1795)から文化9年(1812)まで18 年の歳月を要して完成させたもので、当初は中社広庭上段にあったが、廃仏毀釈で移転され、明治20 年(1887)に現在地に再建されたと言われています。(長野市のホームページ「戸隠地区」より)

納経は現世の安穏や来世の幸せを祈願したり、追善供養のために経文を写す大切な行いだったようです。
戸隠神社は、朱印寺院と認められており、将軍崩御の際「納経」の役目があったようです。
朱印地というのは、江戸時代、寺院や神社が徳川将軍から朱印状という文書を受けて認められた領地 をいいます。


このまま中社への上り坂を進み、「守護不入之碑」へ。
Posted by いいときナビ at 11:06│Comments(0)
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